不可視の領域
 物質界は一つの領域だけで出来ているわけではない。そこに重なって、全く同じ地形でありながら肉体的な感覚では捉えることも触れることもできないある状態が存在しているのだ。この状態を黄昏/Twilightと呼ぶ。そこは、ゴーントレットの物質界側に存在していながら見ることのできない存在の属する場所だ。黄昏の状態にある幽霊たちは、縛り付けられている場所に入ってきた人間に気付かれることなくまとわりつき、近くにより、あるいは重なって存在することさえできる。ゴーントレットを抜け、枷/Fetterにしがみついている精霊もこの状態である。背筋が凍る感覚や首筋の毛が逆立つ感覚でこうした存在に気付く眠れるものもいるが、ほとんどの場合は気付かれることはない。メイジであればすぐに何かがいることに気付くことができ、それを見極め調べるためにMage Sightを使うことができる。
 
 黄昏の状態、ゴーントレットと呼ばれる精霊と物質の世界を隔てる壁、そして純粋に霊的な存在の世界―物質界の歪んだ鏡像だ―である影界。これらは全て、メイジが不可視の領域と呼ぶ中に含まれる。これらの場所/状態(どう定義するかによる)を感知したり干渉したりするには魔術が必要となる。どのArcanumでもMage Sightによって超常の感覚を得ることはできるが、こうした対象には精霊のArcanumがもっとも適している。
 
 都市に住む眠れるものたちが田舎や荒野に対して関心を払わないのと同じように、多くのメイジたちはこうした不可視の領域には大して注意を払っていない。不可視の領域は彼らの属する場所でもなく、時間や注意を払う理由がないからだ。だが、そこに一つの問題がある。荒野の動物とは違い、不可視の領域に棲む精霊たちは頻繁にメイジを探しにくる。そして、その目的はいつも友好的なものとは限らないのだ。ある種の精霊は覚醒した魂を嗅ぎつけ、蛾が火に集まるようにその近くに寄ろうとする。そして、幽霊たちは冷え切った骸を暖めようとして、覚醒した魂に「暖を取る」ために寄って来る。そうした幽霊は自分がそこに引き寄せられた理由を知らないかもしれないし、あるいは自分の錨/Anchorを破壊してもらおうと付きまとってくるかもしれない。さらには、何か影響を与えてきたり、エネルギーを吸い取ったりする可能性もある。
 
 不可視の領域は危険なものであり、常に気を気張る必要がある。全てのメイジが精霊のArcanumに通じているわけではないだろうが、Cabalに最低でも1人いれば助けになるだろう。

アストラル界/夢の領域
 アストラル空間は地理的な意味での空間ではなく、魂と意識の領域、あるいはその連続体とも言うべきものである。個々の魂は多くの層・領域を持っている。覚醒している意識はその中の基本的な部分に過ぎない。その下には、夢の意識が横たわっている。そのさらに下が、アストラル門、アストラル界へ行くために通らねばならない障壁だ。障壁をくぐると、精神はOneirosと呼ばれる自身の夢の領域へ入ることになる。メイジがさらに下に降りると、そこは集合夢の領域だ。ここは"普遍的無意識"とも呼ばれ、メイジの呼び方ではThemenosとなる。より下に下りていくとそこは原初の夢の時代である。この領域は世界全体の夢の集合体で、動物や植物の魂とも接触することができる。メイジはここをAnima Mundi…世界の魂とも呼んでいる。

 アストラル界に存在する夢の領域は、まさに夢や悪夢のように奇妙でナンセンスな場所だ。そこでも物事は意味をなしているが、それは論理的なものではない。それは外の世界の物質的な真実ではなく、象徴的で意味深い魂そのものの真実なのだ。
 
 人間と動物が普通の夢でそうするように出会うと、彼らは同じで違う風景を通り過ぎる。時間は時計のリズムではなく、まるで超現実主義の大家が書いた演劇に存在するようなリズムに乗って同等かつ別々に流れてゆく。
 
 The Oneiroi、個々の夢の空間では、メイジ自身の自我から生み出され、他の存在に全く影響されていない純粋な自身の本質と遭遇することができる。The Temenosでは、普遍的で原型的な本質と出会うことが可能だ。まさにそのために、この場所は危険なものだ。個人の魂の健康や生存を気にすることがなく、その眼は永遠を見つめている。まさにフェルナンド・ペソアが書いたように。"実在しても、しなくても/我々は神々の奴隷なのだ"

 夢の時代は奇怪で謎めいている。ここでの体験は人間の本質を超えたものだ。無数の生き物が交じり合い、他者よりも重要な(あるいはより下の)ものは存在しない。